ダラダラと思いのままに書いてみる日

ちょっとだけ持ち直した。佐藤さんに改めて感謝(嬉)
でもまだ原因が良く分からない、
具体的ではない不安がこびり付いている。
心なんて一生不安さとはこういう事なんでしょうか?




ここ1,2日ばくちくとふぃっしゅまんずをキーワードに来て頂いた方が
多いようでカウンターの回転がこの日記にしては速いです。
どちらも大好きなバンドなので,
少しでも共感してくれると嬉しいのですが。
「おめー分かってねえよ」とか思われてたら寂しいな。
この両バンド共に好きって人はあまりいないかなあ。




そんなこんなでカウンターが2000を超えるのも
もう間もないでしょう。僕の書いた文章をこれだけの人が
目にしてくれていると言うのは何だか変な感じです。
まあそのうち1300位は自分で踏んでる気もしないでもないですが。




こんな日記をアンテナに入れてくださっている方もいるようで
嬉しい限りです。でもこの散漫な日記のどこに引っ掛かって
アンテナに入れようと思ったのか気になります。




この日記を始めた日の自分に聞きたいんだけど
何で僕はこの日記を始める時一人称を「僕」にして
敬語の文体で始めたんでしょうか?普段僕なんてまず使わんし。
日記で敬語って言うのもなんだかな。
そのうち一人称と文体は変わるでしょう。
でも僕の好きな中島らもさんは一人称が「僕」の頃のエッセーの方が
面白くて、「俺」になってからは
ちょっととっつきにくくなった気がするんですよね。
どっちにしろつまらん文しか書けない俺には関係ないか。




・・と、色々書いてきたきょうの日記をここで読み返す。
・・・なんと「でも」の多い文章なんでしょう・・
ほぼ一段落ごとに「でも」が入っているではないですか。
客観的に分析すると自分の書いていることに
自信がないんでしょうね。フォローの為の「でも」。
別に読んでる人の事なんて気にする意味なんて無いんですけどね。
でも(ああ,まただ)これ僕の昔からの自分でも大嫌いな性分なんですよ。
いつも人の目を気にしてきた。どんな風に自分が見られるのか
気になって不安で仕方が無いんだよな。
僕の事なんか見てる人なんていないだろうにね。
治したかったけどもう治らんだろうから諦めました。




キーワードを頼りにあんまり来れない感じの日記で
今日は終わります。カウンターの回転も落ち着くでしょう。